みんたのメンタル不調
青年期危機症候群に至るまでの経過をざっくり話したいと思う
[目次]
1.摂食障害だった頃
痩せたら全てが上手くいくと思い込んでいた、中学生の頃。
ダイエットを始めた。
会員制のレコーディングダイエットサイトに登録し、
そこで過食嘔吐という方法(症状)を知った。
自分で初めて行動に起こしたのは、中2のクリスマスだった。
勧められるがまま2つ目のケーキを食べてしまったことを後悔してだった。
そこからの悪化は早くて、あっという間にどっぷり浸っていた。
過食と嘔吐と最低限やるべきこと以外の何かをしていた記憶が無い……
ただ、最低限やることをやっていたため、家族にも誰にも気疲れなかった。
(このことが事態を悪化させもしたのだが)
2.摂食障害は自力で治せたと思った
そんなある日、好きな人ができた。高2頃だった気がする。
その人にこんな姿は見せられない、やめなきゃ!と思った。
するとスパッとやめることができた。
はずだった。
3.やはり摂食障害を治せていなかった…?
浪人を経て晴れて大学生になった最初の夏。
やりたいこと全部やろう、めいっぱい楽しもうとしていて、精神的に疲れた頃。
ふと、再び過食嘔吐をしてしまった。
このとき、摂食障害は女性に多く、母娘間のに問題がある場合に起きやすいのだと知った。
確かに、昔も今も、母と揉めたときに症状が出ていた。
原因は分かったが、通院して完治を目指す等、根本的な対策をしたわけではなかった。
むしろ、過食嘔吐のおかげで、飲み過ぎた時や二日酔いの時、吐くのに抵抗なくなんなら得意で、便利だな~くらいに思っていた。
4.悪化していて鬱だと診断された
大学2年の秋、留年しそうになった。
1年で必修だった語学の単位を落とし、再履修していて今度も落としたら留年確定だったのだ。
事態の切迫度合いに反して私は一向にやる気が出ず、勉強できずにいた。
死にたい気持ちや憂鬱感もあり、全てどうでも良いと考えるようになっていた。
でも、もし生き長らえてしまった時に、留年は嫌だった。
途中で転院しながら3件ほどメンタルクリニックに通い、
5.セカンドオピニオンでの出会い
イマイチ治る見通しが立たないなと思いながら通院していたら、
季節は大学3年の夏になっていた。
春夏学期、あまり大学に行けなかったことも大きく影響し、
取得単位がとても少なかった。半年の休学も考えていた。
そんなある日、私は後悔してもしきれない過ちを犯してしまった。
自責の念に駆られて死のうと考えた一方で、
かつて失敗した経験から、手段が思いつかなかった。
困り果てて救急に連絡すると、来てくれた。
かかりつけのメンタルクリニックが時間外だったため、
別のメンタルクリニックへ行くことになった。
救急車での乗り付けNGだったため、
警察に保護され、生活安全課の方々に連れて行って頂いた。
そこで下された診断は、
青年期危機症候群というもの。
鬱ではなく、分裂型統合失調症の予備軍だったのだ。
6.青年期危機症候群、治療中。
鬱ではないと診断できた最大の要因は、私の思考が正常に働いていたことだった。
通常、本格的に鬱だと、体の動きも頭の回転も遅くなるらしい。
しかし私にはそれがなかった。
一方で、メインの症状が無気力状態であったため、この診断になったようだ。
今は合う薬を飲んでいるせいか、こうしてブログを書く等、活動できている。
それまでは、やらなければいけないことを辛うじてこなせるだけで、やるべきこともやりたいこともできていなかった。
・頭は働いているのに体が動かない辛さ
・青年期危機症候群と鬱の見分けの難しさ
・セカンドオピニオンの大切さ
には、追々触れていこうと思う。
ではでは、今回は重めのはなしだったけど、
Have a nice day! 約束だぞ!